日時 令和6年6月28日(金)14:30
場所 熊本市医師会館2階講堂
令和6年度熊本市医師会婦人会定例総会は、北里 英郎先生による特別講演に続いて開催されました。庶務部澤田理事の進行のもと、出田副会長による 開会の辞に続き、令和5年度にお亡くなりになられた会員物故者へ黙祷を捧げました。開会時点での会員出席者は33名、委任状の提出118名。会員総数225名の3分の1を超え、婦人会規約第8条第2項により総会は成立することとなりました。
牧野会長の挨拶ののち、来賓としてご出席いただいた熊本市医師会園田 寛会長、熊本県議会議員の藤川隆夫先生よりご挨拶を頂戴しました。園田会長からは本年6月におこなわれた診療報酬改定に関する話題、それに対する市医師会対応現況、医師会病院建て替えに関する話題等をお話しいただきました。藤川先生からは県政の現況について詳細にご報告をいただきました。また、来賓としてご臨席いただいた県医師会婦人会の会長の宮村裕子様、元市医師会婦人会会長 髙野瑞代様をご紹介いたしました。
次いで、熊本市医師会看護学校校長の濱田泰之先生へ、昨年度の婦人会SDGs活動の中で学生にお贈りした物品の目録贈呈をおこないました。昨年度は、学生から要望の多かった不織布マスクを寄贈いたしました。
続いて、議長に執行部からの推薦にて東部 宇野 美穂様が選出され、議事に入りました。議題①令和5年度会務報告(庶務部 桑原理事)、 ②令和5年度決算報告・婦人会事業積立金特別会計 決算報告(書記・会計 前田理事)、③令和5年度 監査報告(伊津野監事)について報告がありました。次に協議事項として、④令和6年度事業計画案(庶務部 庄野理事)、⑤令和6年度収支予算案(書 記・会計 松野理事)、⑥婦人会規約の一部改定(牧野会長)の内容について説明があり、一括して審議 し、出席者全員の賛成挙手にて案は承認されました。
以上で予定されていた議事は全て終了し、牧野会 長より新役員の紹介、澤田理事より新入会員の紹介 がおこなわれ、最後に魚住副会長による閉会の辞に て、本年度の定例総会は閉会となりました。
研修部 理事 木佐貫恵津子
定例総会に先立ち、北里大学名誉教授、北里柴三 郎記念館館長であり北里柴三郎博士のひ孫にあたら れます北里英郎先生による特別講演が開催されました。
「一生をかけて日本の伝染病を無くそう」と尽力 されたその生涯を、膨大な資料を基にさまざまなエピソードや考察を交えてお話しいただき、柴三郎博 士の偉業の根幹に触れることができました。
江戸末期、阿蘇郡小国町の庄屋の長男として生まれた柴三郎少年。「『士農工商』という身分制度の中で『農』であることの葛藤が原動力ではないか」という英郎先生の話は、まさに「ひととなり」を聴くことができる貴重な機会でした。
明治維新の風を受けながら軍人や政治家になることを夢見ていた柴三郎少年は、両親の強い勧めで進 学された熊本医学校で、三大恩人の一人目であるオランダ人軍医のマンスフェルトと出会い、医学のおもしろさに開眼されたそうです。
その後ドイツに国費留学、そこで二人目の恩人 ローベルト・コッホに師事され細菌学の最先端を学ばれました。この6年の留学期間の中で破傷風菌の純粋培養に成功、破傷風菌抗毒素の発見、血清療法の確立という偉業を立てられています。コッホとの強い信頼関係の証として、英郎先生の「研究室メンバーとの集合写真での柴三郎博士の立ち位置がどんどん真ん中になっていっている」という考察がありました。ご参加できなかった方にもぜひ見ていただきたい写真です。帰国後、柴三郎博士に新たなステージを準備されたのが三人目の恩人、福沢諭吉翁です。柴三郎博士活躍の場としての伝染病研究所、広尾にサナトリウムと開設されます。
活躍の場とそれを支える人とのつながりを得たことが、その後の日本の医療・研究 の発展、志賀潔や野口英世ら錚々たる後進の輩出に繋がっています。不屈不撓の精神とまっすぐな姿勢、人に報いる・恩に報いるという柴三郎博士の「ひととなり」が、周りからの信頼と絶大な協力を生み、「日本人のいのちの杖でありたい」という初志を貫徹されました。
人に熱と誠があれば何事も達成する。
世の中は決して行き詰らぬ。
もし行き詰ったとしたら、それは人に熱と誠がないからだ。
皆さまのお手元には新千円札が届きましたでしょうか? 北里柴三郎記念館・記念室の記事によりますと50代後半の博士がモチーフになっているということです。伝染病研究室でペスト菌を発見された頃から同研究所を白銀台に移転された頃の肖像画になります。裏面は葛飾北斎・富岳三十六景「神奈川 沖波裏」となっており、この千円札がそのまま日本 のお土産になってしまいそうな素敵なお札ですね。
博士は破傷風菌の純粋培養に成功、免疫血清療法を確立、ペスト菌を発見という数々の偉業を達成さ れており、第1回ノーベル生理学・医学賞の最終候 補にまで選ばれておられます。受賞に至らなかった 理由はイロイロとあるようで、この辺りの話は小国 町の北里柴三郎記念館であれこれ聞いてみると面白いのでは?と思います。
最後に、英郎先生からのメッセージをお届けします。
「小国町の北里柴三郎記念館に現存している貴賓 館二階から柴三郎博士が見た風と景色(涌蓋山の眺 望)を感じていただきたい」
この夏は、ぜひ小国町へ!